誰だって波がある
はじめに
朝起きた瞬間から、なんとなく体が重い日があります。
特別に嫌な出来事があったわけでもないのに、気持ちが上向かず、何をするにも億劫に感じてしまう。
そんな日は、つい自分にこう言ってしまいがちです。
「もっと頑張らなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」。
でも本当に、元気じゃない日は責められるべきものなのでしょうか。
このエッセイでは、元気が出ない状態そのものに意味があること、そして自分を責めなくていい理由について、心の仕組みと日常の感覚を行き来しながら、ゆっくり考えていきます。
元気が出ない日は「怠け」ではありません
元気がない状態は、しばしば「やる気がない」「甘えている」と誤解されがちです。
けれど、心と体の仕組みから見ると、元気が出ない日は必要な調整期間であることが多いです。
人の心は常に一定ではありません。
気づかないうちにストレスを受け取り、情報を処理し、感情を整理し続けています。
その過程で、エネルギーが一時的に下がることは、とても自然なことです。
元気が出ない日は、心が「これ以上無理をしないで」と静かにブレーキをかけている状態とも言えます。
それは怠けではなく、自分を守るための反応です。
心は「常に元気」でいるようにはできていない
私たちはつい「元気でいること」が標準だと思い込んでしまいます。
けれど、人の心はそもそも常に元気でいられるようには作られていません。
感情には波があります。
嬉しい日もあれば、何もしたくない日もある。
集中できる日もあれば、ぼんやりしてしまう日もある。
これは性格の問題ではなく、心の自然なリズムです。
もし心が常に高いテンションを保ち続けていたら、それはそれで疲弊してしまいます。
元気が落ちる日があるからこそ、回復する日も生まれます。
この上下の揺れそのものが、心が健康に動いている証拠でもあります。
元気じゃない日に自分を責めると、回復は遅くなります
元気が出ないとき、多くの人は「こんな自分はダメだ」と責め始めます。
ですが、心理的には自己批判は回復を早めるどころか、むしろ遅らせることが分かっています。
心が疲れているときに、さらに強い言葉で自分を追い込むと、緊張が強まり、安心できる状態から遠ざかります。
すると、心はますます縮こまり、エネルギーを取り戻しにくくなります。
元気がない状態を「問題」として扱うのではなく「今はそういう時期」と認識するだけで、心は少し楽になります。
受け止めることと、甘やかすことは同じではありません。
受け止めることは、回復のための土台を整える行為です。
比較が自分を苦しめてしまう理由
元気じゃない日ほど、他人と自分を比べてしまうことがあります。
周りは普通に動いているように見える。
楽しそうにしているように見える。
それに比べて自分は、という考えが浮かんでくる。
けれど、ここで忘れてはいけないのは、人の内側は外からは見えないということです。
他人が元気そうに見えるのは、その人の一部分を見ているに過ぎません。
誰にでも、表に出ない疲れや不調の時間があります。
比較は、自分の今の状態を正しく見る助けにはなりません。
むしろ「今の自分」を否定する材料を増やしてしまうことが多いです。
元気がない日は「何もしない日」でいい
元気じゃない日には、何か意味のあることをしなければならないと感じてしまうことがあります。
でも、心が疲れている日は、何もしないこと自体が意味のある行動です。
休むことは、サボることではありません。
立ち止まることは、後退ではありません。
心と体が「今は動かない方がいい」と判断しているなら、その判断を尊重することも大切です。
何もできなかった一日があっても、その一日は無駄ではありません。
回復に向かうための一部です。
私が気づいた「元気じゃない日の意味」
ここからは、私自身の気づきを少しだけ書きます。
以前の私は、元気が出ない日があるたびに、自分を責めていました。
「もっと頑張れるはず」「こんなことで止まってはいけない」。
そうやって無理に動こうとして、結局さらに疲れてしまうことを何度も繰り返しました。
けれど、ある時ふと「元気じゃない日にも理由があるのではないか」と考えるようになりました。
振り返ってみると、そういう日は、無意識のうちに頑張りすぎていた時期と重なっていることが多かったのです。
元気が出ない状態は、失敗でも後退でもなく、心からのサインだったのだと、後から気づきました。
それ以来、元気じゃない日は「今は回復の途中なんだな」と声をかけるようにしています。
そうすると、不思議と次に動き出すまでの時間が短くなりました。
元気じゃない自分も、自分の一部です
元気な自分だけが本当の自分なのではありません。
落ち込む自分も、何もしたくない自分も、すべて同じ自分です。
心は一面だけでは成り立ちません。
明るい面と静かな面、前向きな面と立ち止まる面、そのすべてがあってバランスが取れています。
元気じゃない自分を排除しようとすると、心は居場所を失ってしまいます。
受け入れることは、弱さではなく、整える力です。
おわりに
元気じゃない日は、誰にでも訪れます。
それは怠けでも失敗でもなく、心が調整を必要としている合図です。
そんな日に自分を責める必要はありません。
何かを成し遂げなくてもいい。
前向きになれなくてもいい。
ただ、今の自分の状態を認めてあげるだけで十分です。
元気な日も、元気じゃない日も、どちらもあなたの大切な一部です。
元気じゃない日の自分を許せたとき、心は少しずつ、自然な形で動き出します。
今日は動けなかったとしても、それはあなたがダメだからではありません。
今はそういう日だっただけ。
それだけのことなのです。
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