「なぁミコト。ユウタの奴、元気してっかな?」
「どうしたんだ? 急に……」
「もう俺達のこと、覚えてないんだよな。ずっと一緒に居たのに。実感湧かないや」
少し寂しそうな笑みを見せて、ハルは言った。
「何もかも忘れて──友達だって言っても──分かんなかった」
ユウタに再会したハル。俺達のことを、俺達と共に過ごしたことを知らないユウタ。
俺とユウタとハルは、幼稚園からの幼馴染みだった。小学校に中学校、高校と十五年間、一緒に過ごしてきたのである。
高校卒業後は別々の道に進み、暫く会うことはなかった。久々に三人で再会する筈だったのは、社会人になったある日。
長い間海外出張から帰った俺は、親から知らされた事実を、受け止めることが出来なかった。
『ユウタ君が、事故にあって……。暫く昏睡状態で、目は覚ましたんだけど、記憶が……』
目を覚ましたユウタは、自分のことも家族のことも、今まで起きたことも全て忘れていた。勿論、俺達のことも。
「本当に、覚えてないんだよな……」
「そう、だったんだろう?」
「あぁ……」
出来るなら、そう。出来るなら一度、会いたかった。記憶を失っているから、きっとぎこちなくはなるだろうけど。少しだけ──寂しい気持ちになるだろうけど──それでも良い。
会って、言いたいコト全部伝えて、思い出して欲しい。例えそれが無駄なことだと分かっていても。
笑って。怒って。悩んで。泣いて。
そんな些細な感情でさえも、俺達と一緒にいた時のことは失っているのか。
一緒にバカをやったことも。些細なことで喧嘩したことも。どんな修羅場も潜り抜けてきたことも。
そして何より。
──最愛の人を──亡くしたことも──。
ユウタには、妹がいた。遅くに出来た妹で、ユウタとは十二も年が離れていた。余程可愛かったのだろう。ユウタはいつも妹の話をしていた。
妹は事故で亡くなった。詳しい話はして貰っていない。ただ、ユウタは『自分のせいだ』と責めていた。
「記憶、戻らないかな。そしたらまた、笑って話が出来る」
「ハルそれは……」
言いかけてやめる。
言葉を放ったハルの顔が、あまりにも無邪気で、悲しそうだったから。
窓から見える、落ちていく夕日。遠くを見つめていた顔が、不意にこちらへと向けられた。相変らず、寂しそうな笑顔。
「分かってる。ミコト。分かってるんだ」
「ハル……」
「もし仮に、今ユウタが全てを思い出したとしても、アイツは笑えない」
「あぁ。今のユウタにあの頃の記憶は」
「重過ぎて背負えない、だろ?」
忘れていた過去を。記憶を。思い出を。自分を。
全てを思い出す。それがどんなにアイツを苦しめるか。重荷なんて──もんじゃない。
妹の死が、アイツにとってどれほどのものだったか。
「でもさ、俺達の記憶が、思い出が、分かってても無くなってるのが……何だか悔しいよ……」
紫色の空。落ちた夕日はもう殆ど見えなかった。
「なぁミコト。頭の中は何もかも忘れてる。でも、身体は覚えてるかな」
「……覚えているかもしれない。小さな小さな、たった一つの傷でも。何気ない仕草や言葉でも。それがあるなら」
「なら……?」
「──立派な記憶で、思い出だ。」
「……そっか。」
外は暗く、とても静か。辺りはすっかり闇に包まれ、星も月も無い、漆黒の空。時間はあっという間に過ぎていく。
「ハル、幸せなんだ今が。だから、それで良いんだ。アイツにとっては」
「……だよな。それに、俺はずっと覚えてる。辛くても。悲しくても。あの頃のことを」
「俺も、覚えているから。ハル」
どんなにこの先辛いことがあっても。どんなにこの先忘れたいことがあっても。どんなにこの先泣きたくなるほど悲しいことがあっても。
それでも──大丈夫。
この世界で生きていく限り。
俺達は忘れない。ずっと。ずっとずっと。絶対に。
忘れないから。