おばさんが死んだ。
おばさん、と言っても、祖母の妹である。気付いた時にはおばさんと呼んでおり、それが当たり前だった。
脚に障害を持っていたおばさんは、一人で出歩くことは無かったが、色々な場所に出掛けたと思う。朝は母達と喫茶店に行き、休みの日には皆で旅行に行く。
肩を借り、杖をついて、自分の脚で歩き、長距離の移動は、車椅子を使った。
元気だった。
良く笑い、時には皮肉も言い、たまにお小遣いもくれた。
和裁が得意だから、浴衣も仕立て直して貰った。脚以外に、何処かが悪いだとか、おかしいだとか、考えることは無かった。寧ろ、脚の事も気にならないほどアクティブで、明るく前向きな人。
「おばさんね、入院したよ。もう長くないと思う」
ある日聞いた母からの言葉は、酷く衝撃だった。子供から大人になった私は、随分とおばさんに会う回数が減っていた。
──元気、だと思っていたのに。
驚く私に、母は続ける。
「お見舞いに行かない? もう、生きいてるうちに会えないかもしれないから」
「うん、行くよ」
私は母と病院に向かった。
季節は春。病室の窓から、もうすぐ咲くだろう、沢山の桜が見える。あと少ししたら、そこの公園に桜が咲き乱れ、花見客でいっぱいになる。
ベッドに横たわるおばさんは、私の知っているおばさんでは無かった。
窶れた顔。
虚ろな瞳。
形容し難いほど腫れた脚。
色の悪くなった肌。
思わず目を背ける。
病院に運ばれた時点で、もう手遅れだったらしい。
処置は出来ない、と。
「結菜がね、バイト休み取れたの。だから今日一緒に来たんだよ。忙しいからね、次いつ来れるか分からないから」
言葉が出ない。
私は分かっていた。母の言う「次」が、もう無いことを。
「有り、難う、ゆ、な……」
途切れ途切れに、おばさんが私の名前を呼ぶ。掠れた声。
「ねぇおばさん、桜が見えるよ、もうすぐ咲くよ、そしたら、桜、見に行こうね」
「桜……見れる……かなぁ?」
「見れるよ。元気になってね、皆でお花見しようよ」
「うん……待ってて、ね」
たったこれだけしか話していないのに、その場に何時間も居る気持ちになった。
もう、おばさんの方を見ることが出来ない。涙を必死に堪えた。それでも出て来た涙を、手で拭い唇を噛み締めた。
泣いてはいけないと思った。横に目をやると、母も泣いていた。それを見て、また涙が出て来た。
数日後、おばさんが亡くなったと連絡を受けた。
桜はまだ咲いていなかった。
──あれから数年が経ち、私は母になった。
実家に里帰りした私が見たのは、おばさんと一緒に行った旅行の写真。車椅子に座るおばさん。
病室での会話を思い出し、涙が込み上げる。
季節は春、満開の桜が咲く時。
私は娘を抱き、写真の前に立った。
「おばさん、外は桜が咲いて、凄く綺麗なんだ。私ね、娘が生まれたの。お母さんになったんだよ」
『結菜、おめでとう』
写真のおばさんが、そう言って微笑んだ気がした。