第101話:【現在】側から見て (あの時、一番好きだった君に。)

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 「千景ちゃん? この勤務表に挟んであるクリップ、何処で買ったの?」
「これ? 近所の雑貨屋さん。可愛いでしょ、魔法陣になってるの」
「珍しいね。俺も欲しい」
「まだ売ってたよ? ワンコ型のも良かったけど、後はトカゲ型買っちゃった」

 変わった文房具には目がない。少々お高くても、気に入ったものはすぐに手を伸ばしてしまう。
 会社で使うと消耗も激しいが、周りの受けがいい。言いにくいことも付箋やメモ、クリップを活用すると、意外とすんなり書けてしまえる。
 以前もこんな会話をしたような気もしたが、それだけ私が色々と持ってきているのかもしれない。

 今私は、航河君と普通に喋っている。綾ちゃんは、あの後一日だけ仕事を休んだ。顔を合わせるのが辛かったのかもしれない。元々そんなに喋る方では無かったから、それが幸いしていると言えば幸いしていて、無難な空気が漂っていた。

「俺が千景ちゃんに勤務表出すのも、後一回だね」
「あー、そうだね。あっという間。お疲れ様でしたー」
「なんか投げやりだし、言うの早くない?」
「夏乃が熱出したりしたら休むし、そしたら会わないじゃん? 先に言っておくわ」
「なんという防衛策。じゃあ俺も言っとくわ。お疲れっした!」

 知り合いがいなくなるのは寂しくなる。軽口を叩いて笑いあったり、困った時にちょっと相談してみたり。
 よく考えてみたが、それはもう、別に航河君でなくても良いのだ。これから長い付き合いになる人もいるだろうし、仲が良いのは航河君だけではない。
 綾ちゃんがいなくなってしまう方が寂しい。

 航河君と再会し、昔のことを思い出して、それを反芻する。現在の自分と誰かを照らし合わせ、一喜一憂する。そんなこと、する時が来るなんて思わなかった。私は変わった体験が出来たのかもしれない。

 私は昔に比べて、きっと成長したのだ。動揺したり悩んだり、相談したこともあったが、概ね道を進むことが出来た。航河君と再会するという寄り道的なイベントは、航河君がプロジェクトを離れることで終わりを迎える。

「千景さん……私新人教育の担当になるらしいんです……。私だってまだまだなのに……」
「あー……やだよねぇ。私の同期で開発やってる子、そういえば2年目で新人教育当たってたなぁ」
「……あまりまだ年数が経っていない人が、通る道なんですかね……」
「うーん。通る道、と言えば通る道かもしれないね」
「うぅ……」

 綾ちゃんが泣きそうな顔をしている。そりゃそうだ。自分がまだまだ勉強中なのに、右も左も分からない新人の研修をしろと、年度も変わってないのに言われてしまっては。
 綾ちゃんや宮本君の研修をしたのは、彼女達の一つ上の子だったっけ。果たしてそれが吉と出るか凶と出るのか。毎回似たような年代の社員が行なっている。その結果は新人を見ればわかるのだ。

「沢木さん、試験お願いしてもいい?」
「構わないよ。どれ?」
「ふたつあるんだけど。昨日作った方を先に見て欲しくて……」

 吹っ切れたのか、それとも気持ちがわかったのか。綾ちゃんの宮本君に対するよそよそしさは、なりを潜めていた。少しずつ、歩み寄ろうとしているのかもしれない。

“少しずつ、日常に戻っているのかもね”

 ──私だって、来月になればまた航河君のいない日常に戻るのだ。

「千景ちゃん」
「何?」
「ご飯行こう」
「……この会話何度目?」
「お願い! この一回だけ、俺の我が儘に付き合って!」
「今まで付き合ってきたもの。私旦那に嫌われたくないから無理」
「……じゃあ、旦那さんがいいって言ったら良いの?」
「旦那が言えばね。言わないと思うけど」
「聞いてみてよ」
「やだよ。変に勘繰られても困る。何もないのに」
「……千景ちゃん、変わったね」
「変わってないよ、旦那と約束してるんだし、変な噂立つのも避けたいし。航河君が変わってないの」

 私はいつも通り旅費精算の書類を片付けながら、航河君に言った。──航河君の顔も見ないまま。

 この時、航河君はどんな顔をしていたんだろうか──。