もうすぐ、このプロジェクトに配属されてから、一年が経とうとしていた。プロジェクトの人間の出入りは激しく、何人もの人が入り、何人もの人が抜けていった。
その間、私の行う仕事に変わりはなかった。大量の書類と睨めっこし、内容に不備がないか確認する。その繰り返しだ。
──綾ちゃんとカラオケに行ってから、綾ちゃんはkiccaでよく航河君の話をするようになった。あれから二カ月は経ったが、まだ誘ってはいないらしい。
そして私は、綾ちゃんに注意を促すことも、航河君に警告をすることも出来ないでいた。
例え私が2人に言ったところで、意味がないとも思っていた。自分の時のことを思い出して、そうだろうと感じたのだ。
それでも、一つだけ航河君に言おうと思ったことがあった。それは、『不用意に異性に優しくしないこと』だ。慣れない人間は、その優しさに弱い。落ち込んでいる人間もだ。
そしてそれが、相手との垣根が低ければ低いほど、効力を発揮する。『私達は親しい』そう思うから。
先日、ひろ君にも言ったのだ。『優しくすることは悪いことじゃない。だがその内容や接し方によっては、相手に勘違いをさせてしまう』と。
『俺は既婚女性と彼氏持ちにしか優しくしない』
なんて訳の分からないことをほざいていたが、彼氏がいようが結婚していようが、勘違いする奴は勘違いするし、好きになる奴は好きになるのだから意味がない。そう断言してしまった。
実際、事は起こったのだ。
今まで仕事の相談としてしていた女性と2人きりの食事を、バッサリと辞めた後も、何度か相談と称した誘いをひろ君は受けていた。律儀にその類はすべて報告してくれたので、私はそれらを把握していた。
ひろ君はすべて断っていたが、2人ほど諦めなかったらしい。
ある日、私がひろ君の会社に傘を届けに行った。朝一緒に出た時に、私が傘を預かったまま、会社へ行ってしまったのだ。雨がやまなかったので帰りに届けに行ったところ、2人の女性が出迎えてくれた。
そして言われたのだ。
「どうして七原さんに相談に乗ってもらったらいけないんですか? 邪魔しないでください」
「私も七原さんと食事に行くの、毎月楽しみだったのに」
いきなり言われたことに驚いたが、取敢えず2人目から対応することにした。
「えーっと。そちらの貴女。食事代、全部うちの主人が支払っていますよね? 毎回どんな高いもの食べてるんですか? 支払いが1回で万を超えるなんて」
「……それは……」
「主人から聞いていますよ。いつも貴女がお店を選んでいたんですってね。『普段高くて行けないから楽しみ』って、足りない分補充するの私なんですが? 人の夫を、財布みたいに使わないでもらえます?」
眉間に皺を寄せて、真っ赤になりながらその女性は席へと戻って行った。
もう一人の女性は、こちらを睨みつけていた。怖い。だが、私が妻である以上、きちんと回答せねばならないのだ。
「邪魔とは、何の邪魔ですか?」
「なによ。相談の何が悪いの。2人の時間を……」
「2人の時間? まるでカップルみたいな言い草ですね。恋愛相談を聞くために、うちの主人は時間を割いた訳じゃないんですよ」
「でも、七原さんはいつも聞いてくれてて」
「女性だから強く言えなかっただけです。彼氏に内緒にしてるなんて、何かやましいことでも?」
「……別に、やましくなんか……」
「聞いてます。すべて、主人から。私の言いたいこと分かりますよね?」
「……何よ」
「『彼氏より七原さんがいーい!』なんて、どうして既婚者に送れるんですか? こっちはよくないですよ。主人にその気はないんで、近付かないでくれます?」
「関係ないじゃない!」
「関係ありますよ? 私は妻ですから。大迷惑です。彼氏に胸張って言えないことに、人の旦那を巻き込むんじゃない」
ドンッ──
隣の壁を殴ったあと、その女性は戻って行った。
“……はぁ”
美織さんは、どうして航河君が他の女性と出掛けることが平気だったのだろう。私は美織さんと同じではなかった。ヤキモチを妬いて、胸が苦しくなってしまう。
美織さんのようにはなれなかった。美織さんの気持ちがわからなかった。
“……ごめんなさい……美織さん”
心の中で何度も謝りながらこの日は過ごした。美織さんに。あの時、美織さんが何を思い過ごしていたのかはわからない。本当に気にしていなかったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
そしてひろ君に『優しくするなら平等にしなさい』そう言って幕を下ろした。