第73話:【回想】不穏な空気③ (あの時、一番好きだった君に。)

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 プルルルル──プルルルル──

「……はい」
『フロントです。残り10分でお時間となります』
「あ、分かりました。有り難うございます」
『では失礼します』
「はい、失礼します」

 ガチャリと力なく受話器を置く。航河君のカラオケに付き合って歌っていた私は、喉は嗄れ、睡眠不足とそれによる眠気でフラフラしていた。

 航河君はというと、まだ歌っている。

「──その思い出に 心許さず 今更遅いと 振り返らぬまま歩く君 響く足音を聞くだけで 僕はただ 立ち尽くしていた」
「……元気だねぇ」
「今思いの丈をぶつけてる途中なの」
「そんな中悪いんだけど、あと10分だって」
「えっ、もう?」
「そりゃあさぁ。入れた履歴見てみなよ。ほぼ自分でしょう」
「今日はノリにノッてるからね」
「こんなに失恋ソングばっかり選曲されたの初めてだわ」
「俺が歌うんだから、千景ちゃんにも失恋ソング歌ってもらわなきゃ」
「もうレパートリーないよ」
「ラスト一曲でいいんじゃない?」
「航河君歌う?」
「ううん、千景ちゃんで。俺からのリクエスト。最後はこれって決めてたんだもん」
「失恋ソングはもう分からないぞ?」
「違うから。よく歌ってたじゃん、千景ちゃん」

 慣れた手つきで航河君は機械の該当ページを開く。そしてすぐに転送ボタンを押した。

「……これで良いの?」
「そんな気分なの」

 私はマイクを手に取り、今日最後の歌を歌う。

「──君を見たあの日 世界が変わったんだ その声とその笑顔が 私の心を揺すったから こんなに近くにいるのに 思いは届かなくて 今日もまたいつものように その背中を追った」

“うう……これ高音域きついかも……”

 既に限界が来そうだったが、じっと画面の歌詞を目で追っている航河君を見て、頑張らなきゃいけない、そう思った。

「見てるだけで良い 触れられなくても 傍にいなくても 好きだから そう思っていたのに 思いは募るばかりで その優しさに溺れる私を あなたはどう思っているの」

“航河君、大丈夫かな……”

「聞きたい 聞きたくない 知りたい 知りたくない 聞いたらそう 壊れてしまいそうで 知ってるの私 貴方本当は……」

“……航河君?”

「分かっていても 離れられないの 貴方から 何度背を向けようとしても 優しくて残酷な感情は 見えない鎖で 私を繋いだまま 優しくしないで 甘やかさないで 好きじゃないなら そんなの要らない」

 一番を歌い終わった時、航河君は両手で顔を覆い俯いていた。私の歌でかき消されていた声が聞こえる。すすり泣くその声を聞きながら、私は曲の間奏を待つ。

「……航河君」
「……っ……そのまま、歌って」
「そう……」

 今までで一番、感情を込めたかもしれない。航河君が望むなら、今日はこの歌を君に捧げよう。思いが実らない、片思いのこの歌を。

 私が一曲歌い終えると、航河君はもう正面を向いていた。暗くてよく見えないが、きっとその目は赤く充血していただろう。

 ──パチパチパチパチ

 航河君から拍手を貰った。

「千景ちゃん有り難う。なんだ、まだ声出るじゃん」
「頑張ったんだよ」
「俺のためにね。……有り難う」
「いいえ。どういたしまして」
「はぁ」
「大丈夫?」
「俺さ。美織ちゃんが思ってるよりも、ずっとずっと美織ちゃんのこと好きだったんだよ」
「知ってるよ。航河君が美織さんのこと、大好きだったのは」
「大学卒業して就職したら、結婚するつもりでいたの」
「……うん」
「でも、全部なくなっちゃった。『弟にしか思えなくなった』んだって」

 私はぎゅっと唇を噛む。自分が言われたわけではないのに、酷く悲しくなった。

「一応言っておくけど、千景ちゃんと仲良くし過ぎたとか、そういう理由じゃないから」
「気遣わなくて良いよ」
「そこはハッキリさせておかなきゃ。もっと、俺達の根本の問題だった訳」
「そう。分かったよ」
「スッキリした。またいつもの航河さんに戻るから」
「無理しない程度にね」
「りょーかい」

 大きく伸びをして、首を鳴らした。カラオケを出たら、日常に戻るだけだ。

 航河君にとっては、残酷で悲しい日常に。