プルルルル──プルルルル──
「……はい」
『フロントです。残り10分でお時間となります』
「あ、分かりました。有り難うございます」
『では失礼します』
「はい、失礼します」
ガチャリと力なく受話器を置く。航河君のカラオケに付き合って歌っていた私は、喉は嗄れ、睡眠不足とそれによる眠気でフラフラしていた。
航河君はというと、まだ歌っている。
「──その思い出に 心許さず 今更遅いと 振り返らぬまま歩く君 響く足音を聞くだけで 僕はただ 立ち尽くしていた」
「……元気だねぇ」
「今思いの丈をぶつけてる途中なの」
「そんな中悪いんだけど、あと10分だって」
「えっ、もう?」
「そりゃあさぁ。入れた履歴見てみなよ。ほぼ自分でしょう」
「今日はノリにノッてるからね」
「こんなに失恋ソングばっかり選曲されたの初めてだわ」
「俺が歌うんだから、千景ちゃんにも失恋ソング歌ってもらわなきゃ」
「もうレパートリーないよ」
「ラスト一曲でいいんじゃない?」
「航河君歌う?」
「ううん、千景ちゃんで。俺からのリクエスト。最後はこれって決めてたんだもん」
「失恋ソングはもう分からないぞ?」
「違うから。よく歌ってたじゃん、千景ちゃん」
慣れた手つきで航河君は機械の該当ページを開く。そしてすぐに転送ボタンを押した。
「……これで良いの?」
「そんな気分なの」
私はマイクを手に取り、今日最後の歌を歌う。
「──君を見たあの日 世界が変わったんだ その声とその笑顔が 私の心を揺すったから こんなに近くにいるのに 思いは届かなくて 今日もまたいつものように その背中を追った」
“うう……これ高音域きついかも……”
既に限界が来そうだったが、じっと画面の歌詞を目で追っている航河君を見て、頑張らなきゃいけない、そう思った。
「見てるだけで良い 触れられなくても 傍にいなくても 好きだから そう思っていたのに 思いは募るばかりで その優しさに溺れる私を あなたはどう思っているの」
“航河君、大丈夫かな……”
「聞きたい 聞きたくない 知りたい 知りたくない 聞いたらそう 壊れてしまいそうで 知ってるの私 貴方本当は……」
“……航河君?”
「分かっていても 離れられないの 貴方から 何度背を向けようとしても 優しくて残酷な感情は 見えない鎖で 私を繋いだまま 優しくしないで 甘やかさないで 好きじゃないなら そんなの要らない」
一番を歌い終わった時、航河君は両手で顔を覆い俯いていた。私の歌でかき消されていた声が聞こえる。すすり泣くその声を聞きながら、私は曲の間奏を待つ。
「……航河君」
「……っ……そのまま、歌って」
「そう……」
今までで一番、感情を込めたかもしれない。航河君が望むなら、今日はこの歌を君に捧げよう。思いが実らない、片思いのこの歌を。
私が一曲歌い終えると、航河君はもう正面を向いていた。暗くてよく見えないが、きっとその目は赤く充血していただろう。
──パチパチパチパチ
航河君から拍手を貰った。
「千景ちゃん有り難う。なんだ、まだ声出るじゃん」
「頑張ったんだよ」
「俺のためにね。……有り難う」
「いいえ。どういたしまして」
「はぁ」
「大丈夫?」
「俺さ。美織ちゃんが思ってるよりも、ずっとずっと美織ちゃんのこと好きだったんだよ」
「知ってるよ。航河君が美織さんのこと、大好きだったのは」
「大学卒業して就職したら、結婚するつもりでいたの」
「……うん」
「でも、全部なくなっちゃった。『弟にしか思えなくなった』んだって」
私はぎゅっと唇を噛む。自分が言われたわけではないのに、酷く悲しくなった。
「一応言っておくけど、千景ちゃんと仲良くし過ぎたとか、そういう理由じゃないから」
「気遣わなくて良いよ」
「そこはハッキリさせておかなきゃ。もっと、俺達の根本の問題だった訳」
「そう。分かったよ」
「スッキリした。またいつもの航河さんに戻るから」
「無理しない程度にね」
「りょーかい」
大きく伸びをして、首を鳴らした。カラオケを出たら、日常に戻るだけだ。
航河君にとっては、残酷で悲しい日常に。