「……」
目を覚ますと、とても身体が重い。どんなに嫌なことがあっても、必ず夜は明ける。今回も例外ではない。
身体に纏わり付く怠さは、まるで何日も眠った時のようだった。
少しだけ開けられたカーテンの隙間から、光が入り込む。
「……朝……」
オルカは部屋にいない。もそもそと身体を布団から出し、トートは支度を始めた。
出来るだけ、昨日のことを、夢のことを思い出さないようにする。
うっすらと残る涙の跡を、バシャバシャと冷たい水で洗い流した。
まだぼんやりとする頭のまま、身なりを整えると一階の食堂へと向かった。その足取りは重くゆっくりであったが、それでも確かに、一歩一歩進んで行く。
「おはよう!」
「! お嬢ちゃん! おはよう」
「おはよう。随分とゆっくりだな」
「……女の子は色々と時間がかかるんです!」
朝から軽く憎まれ口を叩くオルカに、トートは少しホッとした。気を遣われるよりも、ずっと良いと思ったから。
「さぁさぁ、温かい食事の方が良いだろう? 火を入れるからね、待っててね」
手が空いて暇だったのだろう。オルカと談笑をしていた女将は、食事を用意すべくパタパタと忙しく動き始めた。
「……」
「……」
無言の時間が続く。時々、先に出された紅茶を飲んでみたり、キッチンで動く女将を見てみたりする。
「……あ」
不意に目に入ったのは、オルカの読んでいた分厚い本。背表紙に、『涅槃の魔女』の文字がある。
此方の視線に気付いたのか、もう残り少ない未読の頁を捲ることなく、オルカはラックへと本をしまった。
「待たせたね。はい、しっかり食べて、元気出すんだよ」
「……うん。有り難う、女将さん」
ニコニコと笑う女将に癒される。昨日抱きしめられた時、凄く懐かしい感覚が蘇った。母のことを思い出したからだろうか。
「そういえば、リタ様がいらっしゃったよ。お嬢ちゃんが来る、30分前くらいかな、もし出来たら、家まで来て欲しい、って」
「……そうですか」
「ユタ様が、目を覚ましたみたいだよ」
「分かりました。有り難うございます」
『いただきます』と、口に運ぶ食事は、美味しい筈なのに味気ない。ただ口の中で、もそもそと存在を主張するだけのような。それでも、それは自分の気持ちのせい、と、『女将さん、美味しい』とニッコリ笑って、食事を続けた。
「もうすぐに、この村から次に行ってしまうのかい?」
「……えぇ、そのつもりです。本当はもう少し、滞在するつもりだったのですが……」
「そうなの。残念だねぇ。──そうだ。お嬢ちゃんに、見せたいものがあるんだ。村を出る前に、声をかけてくれるかい?」
「えぇ、分かりました」
最後の一口を口に運び、手を合わせる。昨日何が起きたのか、特に聞かない女将さんの気遣いが嬉しかった。
「オルカ。リタさんの所、行く?」
「私は断る理由はないからな」
「……そっか。じゃあ、私も行く」
「大丈夫か?」
「ええ。大丈夫よ」
心なしか、オルカが優しい気がした。
──元々は、もしかしたら優しい心を持っていたのかもしれない。
死ぬ前の、先代のオルカのように。
いつも通り、うさぎのリュックを背負って、リタの家へと向かう。少しだけ、足取りが軽くなった感じがする。
──ドンドン──
「リタさん! トートです!」
相変わらず返事はない。きっと、その内やって来る。もうすぐ、トタトタと、リタの走る音が聞こえるのだ。
──トタトタトタトタ
「──はい!」
「おはようございます。リタさん」
「おはようございます。トートさん、オルカさん」
「……あぁ」
部屋に案内され、席に着く。少し待っているようにと、紅茶とお茶受けのクッキーが出された。
「……これ、昨日のかな?」
「そうだろう」
サクサクと歯触りを楽しみながら、クッキーを頬張る。昨日の美味しそうな匂い、期待を裏切らず、味も満点だ。
「……お待たせ致しました」
「あっ、あ……」
「昨晩は、申し訳ありませんでした。トートさん、オルカさん」
目の前にいたのは、ユタであった。その隣に、リタ。こうしてみると、双子のように見える。
その後ろに、申し訳なさそうにマイルスが立っていた。腕は一応、くっついているらしい。
「……こちらこそ。取り乱して、申し訳ありませんでした」
立ち上がり、深々と頭を下げる。トートの頭にはまた、昨日の出来事が駆け巡った。
「……私は、自分のことしか考えていませんでした。石があれば、精霊が見えるなんて、勝手なことを……。リタから、子どもの時の話も聞いたのです。私は、私は、何も成長していなかった……」
今にも泣きそうな声で、ユタは話す。
「村のこと、なんてものは建前で、ただ自分が会いたかっただけ。それでも、『助けてくれて有り難う』って、そう一言伝えたかっただけなのに。今度はその存在を消してしまった」
トートは何も言えないでいた。可能ならば、『お前が悪い! 私の友達を返せ!』と、そう突っかかってみたかった。『ファーニャが消えたのは、貴方のせい』とも言いたかった。
だが、とても、その類の言葉を吐くには、弱々し過ぎる相手だと、そう感じていたからである。
「都合のいいことを言っていると、自分でも分かっています。それでも、貴女にお聞きしたい」
「……何でしょう?」
「どうしたら、精霊を呼び戻すことが出来るでしょうか?」
「! 貴方は、まだ──!」
「ち、違うんです! 昔のように、精霊が人間と話の出来る、触れ合える環境を、作っていきたいのです! 今度は、精霊がしてくれたことを、精霊にお返ししたい──」
精霊石がなくても、人間の力だけで収入を得られるように。与えられた自然を、壊さぬように。『精霊だから』と、その力に頼らぬように。
「我儘かもしれません。こんな村に、どの精霊も希望を持たないかもしれません。足を運ぶのも、見守るのも。私達は……いえ、私は甘えていました。村長を任されたのだから、私が村のことをどうにかせねばならないのに」
胸が、チリチリと痛む。
「ごめんなさい、トートさん。貴女の大切な友人を、奪ってしまって。精霊は、消えてしまったらそこで生が終わるのですか? 消してしまったその罪を、私は償いたい。いえ、償わなければならないのです──」
ファーニャなら、何と言うだろう。
『気にしなくて良いよ』だろうか。それとも『別にそれくらい良いのに』だろうか。もしかしたら──
『ユタを赦してあげて』
「──!」
頭の中に、ファーニャの声が響く。自分で考えていた言葉がきっと、ファーニャの声で再生されただけだろう。それでも、トートには充分だった。
『仕方ないわね』と、頭の中でファーニャの声に返す。
トートはユタを見据え、一歩ずつ歩み寄っていった。