第15話:それはただ、昔の話 (涅槃の魔女とひとりぼっちの魔王様)

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 「……ん……」
「あ! ユタおきた! あし、だいじょうぶ?」
「足? ……あ! うん! 大丈夫だよ! そうだ、女の人が……あれはきっと、セイレイ、だよな?」
「う、うん、そのことなんだけど……」
「やった! おれ、セイレイに会ったんだ! かーちゃんに知らせてこよう!」
「ま、まって!」

 リタの制止も聞かず、ユタは全速力で走った。そして、母親のいる家に辿り着くと、自分の身に起きたことを全て話した。

 リタと一緒に遊びに行ったら、誤って崖から落ちてしまったこと。
 その途中、強く足を打ってとても痛かったから、きっと酷い怪我をしていたということ。
 それを、見ず知らずの女の人が助けてくれたこと。
 急に眠たくなって、寝て起きたら、足の痛みがなくなっていたこと。

 ──あれはきっと、セイレイだったんだということ。

 初めは笑いながら聞いていた母親も、話が終わる頃には真剣な眼差しになり、興奮したユタを置いて、フラフラと外へ出掛けて行った。

 その姿を見てユタは訳も分からず怖くなったが、精霊に会えたことがとても嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、それどころではなかった。

 リタはそんな兄を見て、なんとなく今言ってはいけないような気がした。見て見ぬ振りをして、ユタに言う筈だった『ほかのひとにはナイショ』という言葉を、唾液と一緒にゴクン、と飲み込んだ。

 翌日、谷底に1人の男の死体があった。小さな村だ。全員が集まれば、誰がいないかはすぐに分かる。恐らく、足を滑らせて落下したのだろう。飛行石は持っていなかったらしい。
 たまたま旅の途中、立ち寄っただけの男だったようだ。村の男ではなかったが、『気味が悪いね』と、村の人間は忘れることにした。

「あなたじゃないと、ダメなのかしら?」

 ユタを見ながら呟く母親を、リタは酷く怖がった。あの日から、母は変わった。
 そして、何故か取り尽くされた精霊石を巡って、両親は喧嘩した。
 『まだあんなにあったのに』幼いながらも不思議に思うリタは、初めて1人で精霊の泉へと出掛けた。外に出たがらなくなった、ユタを置いて。

「……こんにちは」

 泉には先客がいた。あの時の精霊、ファーニャだ。

「! こんにちは!」

 リタは嬉しくなり、走り寄った。自分と年の変わらない友達が出来たみたいで、とても嬉しかったのだ。

 正直に話した。ユタが母親に言うのを止められなかったこと。母親がそこから変わってしまったこと。知らない男の人が、谷底に落ちて死んだこと。それでも自分は、ファーニャに会ったことはずっと話さないでおくと約束すること。

 泣きそうな顔で、『助けてあげられなくてごめんね』と、ファーニャはリタの頭を撫でる。

「遊ぶ時は、充分に気を付けて遊んでね。……次はもう、助けてあげられないから」

 ファーニャは力なく笑うと、『バイバイ』と言って姿を消した。

 それからまた、代わり映えしない日が続く。変わったのは、少しずつ、本当に少しずつではあるが、精霊石が取れるようになったこと。それもまたすぐ、取り尽くされてしまうのだが。

 そして、精霊石がまた採れなくなった頃、リタとユタを置いて、母親は飛んだ。文字通り、飛んだのだ。谷底に向かって。

「ユタが余計なことを言わなければ……」

 夜中にトイレに起きた時、父親がそう呟くのを聞いたユタとリタは、何かしてはいけないことをしてしまった、ということを、漠然と理解した。

 ──

「その意味は、大人になってから分かりました。どうして旅の男が死んだのか。精霊石が少しだけ採れるようになったのか。……そして、母が飛び、何故父がそう呟いたのかは」

 この村は、精霊石がなければ生活していけない。村の中を移動することも、生計を立てることも。

 祖父の代までは、なんとかやりくりして来た精霊石も、父の代になれば、ただの掘り起した跡だけとなった。
 それでも村の蓄えからなんとか暮らし、村の一部を観光出来る場所として解放した。初めは精霊石の産地だったということもあり、珍しがる客達が多かったが、それも時間が過ぎればただの不便な村。段々と足が遠のいていった。

「父が亡くなって、兄様が村長になりました。私は約束しました。ファーニャと。会ったことは、誰にも話さないと」

 俯き、リタの言葉はそこで終わった。もうこれ以上は、何も話すことがないと、何も離したくはないと、重い空気を背負って。

「ただ、ただ──」

 ボロボロと涙を流し、嗚咽混じりに話すユタは、掛け布団のシーツを握りしめる。

「それがあれば、会えると思ったんだ──」

 グズグズと鼻を鳴らす。

「もう一度、あの時の精霊に──」

 フラフラと、ベッドから立ち上がった。酷く痩せた身体を引き摺って。

「謝りたかった──それだけなのに──」

 自分が精霊の存在を話さなければ。いや、きちんと飛行石を持って、もしくは、上着を変えること無く外に出ていれば。──違う。そもそもあの日、外に出掛けなければ。

 こんなことにはならなかったのに。

 男も死なず。母も死なず。父の葛藤も生まれず。もしかしたら、精霊石も僅かばかり、残ったかもしれない。

 父の言葉を聞いてから、毎日毎日考えてきたこと。

「『話してしまって、ごめんなさい』と、言いたかっただけなんだよ……」

 ヨロヨロと壁沿いに、身体を擦り付けるようにして歩いた。そのまま、外へと向かう。

 その異様な空気に、暫く誰も言葉を発せず、身動きも取れずにいた。

「──いけない!」

 そう、リタが口を開くまでは。