第10話:涅槃の魔女 (涅槃の魔女とひとりぼっちの魔王様)

スポンサーリンク

 指で宙をなぞらえる。規則性はなさそうで、何かを思い出す為の作業に見えた。

「あーっと、えーっと。そうね、じゃあ、うん。涅槃の魔女の話が出来た経緯でもどうだい?」
「ああ。お願いしよう」
「涅槃の魔女はね……」

 女将はコーヒーを一口、ズズズ……と啜ると、静かに話し始めた。

 ──

 昔まだ、この世界に『魔王』や『魔族』
が存在し、人間及びその他種族と争いをしていた頃。

 1人の少女が、魔王の『花嫁』として選ばれた。

 その少女は魔王が気にいる程に、美しく、おおらかで、明るく、慎ましくて気立ての良い娘であった。誰からも愛されるような、そんな、1人の娘。そんな、魔王が魅せられた少女に足りなかったもの。

 それは、闇と命。

 魔王の生命力と、人間の生命力を比べた時、圧倒的に魔王の方が長い。共に生きることを望んだ魔王は、少女の命を不死のものとした。当然、自分が生き長らえることを前提として。

 そして、もう一つ。魔王にとって、少女は眩しい存在だった。自分が霞む程、そして、誰にも渡したくないと思える程に。
 だが、同時に、足りない物も感じていた。自分の様に、闇に属する様になるのだ。その人間に足りないもの。闇に染まる様にしてしまえば良い。

 絶望。

 人は皆、生まれたら必ず死ぬ。この娘は、寿命を迎えただけでは死ななくなった。この姿のまま、生き長らえる。
 しかし、それは、言い換えれば『歳をとらなくなった』だけである。
 魔王は別のモノも与えた。今度こそ、不死となる様に。

 少女にとって、最大最高に。最低最悪な贈り物。『何をしても死なない身体』だった。

 本来ならば、『魔王の花嫁』として、共に生きて行く筈だった、のに。

 魔王は勇者と死闘を繰り広げ、負けた。

 置いて行かれた花嫁は、人間側に戻れる筈もなく、かといって、独断したトップ不在の魔族に受け入れられる訳でもなく。

 沢山の人に囲まれ、愛され、何不自由なく生活をしていた少女は、望まず独りぼっちになってしまった。

 気持ち悪い。悍ましい。怖い。疎ましい。穢れている。裏切り者。アレはもう、人間ではない、という、人間側の否定。

 どっちつかず。半端者。出来損ない。羨望。嫉妬。残り物のゴミ。虚栄。こんなモノは、魔族に受け入れられない、という、魔族側の拒絶。

 時に蔑まれ、時に媚び、時に手を汚しながら、生きて行く為に必死に自分の心を殺した少女。

 殺しても死なない。生と死を凌駕した存在。その眼に映る傷は、更に大きな目に見えない傷を生み出し、時を刻んで行く。身体は生きているが、その心はどうだろうか──

 人間の玩具にされ、或いは捌け口にされ、忌み嫌われながらも欲望と狂気を満たす為に、誰も要らない命を繋ぐ日々。

 そんな彼女に付けられた名前が、『涅槃の魔女』である。

 ずっとずっと、長い時間を独りぼっちで過ごし、『自分』という存在を知りうる人間が生き絶えた頃、漸く束の間の安寧を手に入れた。転々と所在を変える必要があったが、それでも、人に混じって生活をし、交流し、自尊心を満たせる日々を、送ることが出来たのである。

 今までの人生を、取り戻すかの様に過ごす毎日。慎ましくも穏やかで、ゆるりとそれでも確かに過ぎて行く日常。

 だが、それも長くは続かなかった。

 幾許か経ち、一冊の本が出版されたのである。

 タイトルは、『涅槃の魔女』。

 面白おかしく、さもその魔女が悪者の様に描かれたその絵本は、まるで少女の人生の、最低最悪で不都合と虚勢に塗れたな部分だけを抜き取り、嘲笑と下方比較の象徴のように、瞬く間に世界中に広がった。

 悲しきかな、その絵本に描かれた少女は、現実に『涅槃の魔女』と呼ばれた少女に、瓜二つだったのである。
 あっという間に少女の存在も知れ渡り、心無い噂話や好奇の目に晒される日々が、戻ってきたのだった。

 その程度が酷くなった頃、少女は大きく嘆き悲しみ、心を壊した。壊れた心は『魔女』に相応しい力を使った。彼女の叫び声は地を鳴らし、涙は激しい雨を呼んで、この世界を包んだのである。
 そして何故か、世界中から『涅槃の魔女』の絵本が消え去った。綺麗に、一冊も。その跡には、黒く焦げた燃えカスの様なものが残っていたらしい。

 絵本と一緒に、本物の『涅槃の魔女』も、姿を消したという。世界に大きな傷跡を残して。
 そこから、少女の姿を見たという話は聞かない。

 ──

 身振り手振りを加えながら、時々コーヒーを飲み、女将は話し続けた。

「これが、『涅槃の魔女』の話だよ。絵本じゃない、そうだね、語り継がれる、って言うのかい? そんな、話だ」
「皆、この話を知っているのか?」
「いや、知らないだろうね。話をする人間も減ったし、何より、皆絵本の方を信じてるよ。絵本はまた誰かが出してね。今はもう、魔女の顔は描かれていないのさ」

 女将は首を振った。魔女の顔が瓜二つで、そのせいで絵本が消えてしまったのならば、誰とも特定出来ないように描けばいい。そう思ったのだろうか。何故、そうまでして、絵本を後世に残したかったのだろう。

 『ちょっと待っててね』と、一度席を外すと、女将は一冊の本を持って戻ってきた。

「これがその絵本だよ。『涅槃の魔女』読んでみるかい? まぁ、私はこの絵本は好きじゃないがね」
「何故?」
「まぁ、色々とね」
「……読ませていただこう」

 オルカは絵本を受け取ると、表紙におどろおどろしい文字で『ねはんのまじょ』と書かれたその本を、一枚ずつじっくりと、ページを読み進めていった。