第5話:【現在】知り合い (あの時、一番好きだった君に。)

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 一通り、今回のプロジェクトの説明を受ける。つくづく、このプロジェクトのメンバーは大変だと感じた。
 総務で作業をしていた時は、もう少し活気、というか、雑談が飛び交っていたものだが、この部屋は静かだ。皆、黙々と作業をしている。一方で、こっそりスマフォでゲームをやっている人もいるようだが。うつらうつらと、首を揺らしている者もいる。……きっと、昨日の帰りが遅かったのだろう。

「これ、宜しくね。基本は、戻ってきて出社したら、その日の内に出させるようにするから。勤務表は月末に」
「わかりました」

 私の今日の仕事は、出張時の報告書と旅費の精算書のチェック。頼まれた印刷物の束は、領収書も貼ってある為、それなりの厚さがある。まだ今月も、半分過ぎようとしているところなのに。これが一か月分溜まったらと思うと、心底恐ろしい。

“これまでは、分担してのチェックだっだからなぁ。随時貰った物を確認していたし。確かに月半ばでこの量を一人では辛いわ……”

 目の前の印刷物と戦うことを決め、ふうっと息を吐いた。
 時間はあっと今に過ぎていく。目の前の書類を一枚一枚チェックしていくと、驚くほど時が経つのが早い。この作業は嫌いではない。寧ろ、間違い探しをしているようで楽しかったりもする。ただ、肩が凝り、目が疲れるのが難点だ。

「千景ちゃん?」
「……え? あ、はい」
「帰りで良いから、FAX送れる場所教えてくれる?」
「あれ、桐谷君七原さんのこと名前で呼ぶの?」

 私と航河君の会話に、目を丸くした村野さんが入ってきた。それもそうだろう。初対面である筈の2人、出向してきた別会社の男性が女性を名前で呼び、かつ、ため口で話を掛けているのだ。不思議に思っても、何ら可笑しくない。

「あ、すみません。七原さん」
「えっと、実は知り合いで……」
「え? そうなの?」
「航河君……って、私も呼んでたんですけど、昔同じ所でバイトしていて」
「そうなんだ。いきなり名前だから、びっくりしたよ」

 この職場で、男性が女性を名前で呼ぶことは珍しい。何の気なしに名前で呼んで、セクハラ問題にまで発展したそうだ。自分自身、バイトでも学校でも、名前で呼ばれることの方が多い。だからあまり気にしていなかった。

“正直、まだ『千景ちゃん』って呼んでくれるとは、思ってなかったんだよね”

「皆噂好きだからなー。根掘り葉掘り聞かれるかもしれないぞ?」
「女性に下世話な話は嫌われますよ?」
「紳士だねぇ、桐谷君。さては、結構遊んできたクチだな?」
「いやいや。そんなことはないですよ」
「まずモテそうだしねぇ」
「またまた。御冗談を」

“……嬉しそう”

 航河君はまんざらでもない顔をしながら、村野さんの質問をいなしていた。その辺りは相変わらず上手いというか、そつがないというか。何だか少し、昔に戻ったような気分になった。私も遠慮なく、航河君と呼んでしまおう。
 なんとなく、いつもの仕事よりも楽しい気がする。それに、異動した時は決まって緊張するのに、今回はその緊張がないのだ。全くないと言ったらうそになるかもしれないが、少なくとも、今までに比べたら。……きっと、航河君がいるからだ。

 ──気が付くと、就業のチャイムが鳴っていた。特に残業することもない。

“あ、でも。航河君にお願いされたっけ”

「航河君? 私帰るけど、FAXの場所見に行く?」
「あ、お願い。俺ももう帰るから」
「わかった。1階の階段の前辺りに来て」
「りょーかい」

 先に部屋を出て、1階の階段前で待つ。すぐに航河君は降りてきた。

「FAXは、総務部に置いてあるよ」
「有り難う。メールで送れないからさ、FAXじゃないといけないんだよね」

 情報漏洩の懸念から、プロジェクトのネットワークは外部に繋げないようになっている。それでだろう。

「このまま一緒に帰らん?」
「んー……まぁ、良いよ」
「あの部屋の人達のこと、教えてよ」
「そうだなぁ……じゃあ、村野さんから? リーダーなのは聞いたよね。今は係長で……」

 いつかの時と同じように、私達は帰り道を共にした。